今回は前半を一人旅、後半は母と妹が合流して三人旅という形をとった。
まずは一人旅部分。クロアチアまでの乗り継ぎではパリに立ち寄りその後ザグレブへ。スロベニアの絵葉書のような湖や、驚くべきギリシャ正教の絶景聖地へと足を伸ばす。
【旅行時期:3月末~4月初旬】
ザグレブでの短い滞在はここで終り。
本日は朝10時過の便、セルビア航空でベオグラードを経由し今回の旅のメインステージとなるギリシャの地へと足を踏み入れる。
前回はこちら↓
クロアチア・スロベニア絵になる風景と、ギリシャの絶景聖地へ2 ~ブレッド湖・ザグレブ~ アパートの長い階段を、スーツケースをガタガタ言わせながら降りる。アパートはエレベーターが無いところもあるので、気になる人は事前にホストにチェックすること。 駅前でタクシーを拾い空港までは約30分。200knと定額なので安心である。
朝食は空港でとることにした。 ザグレブの空港はこじんまりしている。何軒かしかないカフェの中で制限エリアへ入る前にある落ち着いたカフェに入った。窓からは離着陸する飛行機の様子が見渡せる。
朝食に野菜とモッツァレラのトルティーヤを頼んだら、予想外にちゃんとしたものが運ばれてきてエスプレッソと共に最後の食事をした。
1時間程度で、乗継地ベオグラードのニコラテスラ空港にランディング。
セルビア航空のキャビンアテンダント2人が、ゾッとするほどの美人だった。写真が撮れなかったのが残念である。 ニコラテスラ空港は特に何がある訳でもなく、illyのカフェに入ってマキアートを飲むくらいしかやることが無い。
そしてベオグラードから約1時間半でようやくギリシャ空の玄関口、アテネ・エレフテリノスヴェニゼロス空港へ到着した。 ギリシャ。経済危機で国内財政は火の車、人々は労働意欲を失くしストが頻発するアテネの街・・と正直ギリシャ行きを決めた時には、実際この国に対して自分は一体どのような印象を受けるのか、興味を持ちつつも多少の不安があった。
空港を出ると、ザグレブにいた時よりも幾分温かい風が頬を撫でた。タクシー乗り場は目の前である。たまたま列の先頭にいたタクシーに合図を送ると、車の中からは底抜けに陽気なおじさんが出てきた。 以降、アテネ中心部のホテルまで40分の道のり、ジョルジュというそのギリシャおじさんの愉快なお喋りに付き合うこととなった。 「経済危機?そうさ、アテネの街は終わってる。若者たちは仕事がねえんだから仕方がない。みんなイタリアに働きに出ていっちまうんだ。イタリアマフィアは好きだな、やつらのお陰でわしらは飯が食えている。ハハハッ。それはそうと、ギリシャは素晴らしいところだぜ。自然、世界遺産、食べ物・・そう、アクロポリスはもちろん行くだろ、最高さ。ただしオモニア広場に行くのはやめな、連中は食べ物もない、住むところもない、毎日暮らしに困っているんだ。観光客なんかが行ったら身ぐるみ剥がされちまう。」 ジョルジュおじさんは運転しながらマップを広げ、とうとうアテネ周辺の見所を全て説明してくれた。 空港からアテネ市内までは定額35€。アテネのタクシーは悪質なものも多くぼったくられることも多いとガイドブックには書いてあるが、ジュルジュおじさんはきっかり35€を受け取ると、困ったことがあったら何でも言いな!とタクシー会社の連絡先を私に握らせ満面の笑みで送り出してくれた。 これは良い旅になるな、と直感した。 アテネではアパートではなくホテルをとることにした。アテネの下町、プラカ地区そしてアクロポリスからも徒歩圏内の好立地。個人旅行の場合はとにかくホテル周辺に徒歩で行けるところがどれほどあるか、ということがポイントになる。
なかなか快適そうなホテルだ。
さて、荷物を置くと早速散策に出かけよう。 アクロポリス南側は歩行者天国で、カフェやレストランが並ぶきれいに整備された通りだ。パリやナポリのように街中にゴミが散乱しているということも無く、あまりの快適さに少し意外な気がした。
アクロポリス自体は17時までだったので、今日は20時まで開いている新アクロポリス博物館へと向かうことにした。
ここでは、アテネの最盛期、パルテノン神殿が建てられた頃の作品が多く展示されている。
中でも、アクロポリスにあるエレクティオンの少女像のオリジナルは必見だ。 そこだけ光が当たったように輝く5体の少女像の存在感は圧倒的かつ神聖で、かつてアクロポリスの丘に実際に立っていた時には果たしてどれほどの美しさだったのだろうか、と想像を掻き立てる。
新アクロポリス博物館は、自然光をうまく取り入れて作品を最も自然に近い状態で美しく見せることができるようになっている。 様々な彫像が林立するアルカイックギャラリーは壮観だ。古代ギリシャの美の集結を見ることが出来る。
パルテノンギャラリーには、ほぼ原寸大のパネルにはめ込まれたパルテノン神殿のメトープ(円柱の上部の梁に置かれる部分)やフリーズ(神殿内部の壁上部を帯状に飾る部分)の一部が展示されている。
そして全面ガラス張りの窓からは、アクロポリスに堂々と立つパルテノン神殿の姿と対峙することが出来るようになっている。 パルテノン神殿とその総監督を任されたフェイディアスという男がいかに素晴らしいものであったか、ということについては実際に神殿を見学するところで詳しく書くことにするが、このパルテノンギャラリーで見られるメトープやフリーズの一部にしても、フェイディアスの美に対する並外れた才能をまざまざと感じさせられる。
これら夥しい数の浮き彫り彫刻全てをフェイディアス一人が手掛けたことは不可能である。 実際はそれこそもの凄い数の石工、彫刻家、職人たちによってこれらの浮き彫り彫刻は完成させられた。 メトープに描かれているのはギリシャの伝統的な戦争の場面。しかし、これらに生き生きと描かれた戦士たちの構図は実に多種多様で、二枚として同じ構図のものはなかったのだ。 ”人間の発想というものは一見優れた多様性をもっているように見えるが、実はそうではない。個人の発想などというものは時代に制約され、雰囲気に左右され、結局は皆同じようなことを考えているに過ぎない。多様性とはつまり、突出した、時代にも雰囲気にも制約を受けない天才だけが実現し得る極めて稀な現象なのだ。” (パルテノン/柳広司) とりわけ古代ギリシャの黄金期には、神殿建築にも原則や流行りというものが存在し、メトープや破風に描かれるテーマや神々の構図などというものは端から決まっていた。 誰もこれから逸脱しようなどという発想は無かったのである。そうした中で、多くの凡庸な職人たちがこれだけ多様な構図を自ら考え付いた訳はあるはずなく、それは紛れもなく、フェイディアスという一人の奇才の指示によって生み出された奇跡なのだ。 そんなことを思いながらアクロポリス博物館を出た頃には、夕食の時間になっていた。
そのまま歩いて、アテネの下町プラカ地区をぶらぶらする。 プラカは小奇麗で、でも適度にガチャガチャしていて、経済危機の影響など気にもしないアテネっ子と観光客たちがたむろしていた。
アテネ人の友人におススメされていたビストロカフェYiasemi(イアセミ)へと向かう。 アドレアノウ通りをひたすら歩き、ある土産物屋の角を曲がった先にある路地裏の、その一角だけがやたらと賑わしい。 近付いてみると狭い路地は階段になっていて、両側には小さな飲み屋がギッチリと並んでいる。そして階段に並べられたテーブルには地元民が隙間なく肩を並べて、飲めや食えやの大騒ぎ。
やっとの思いで彼らの間をかきわけ階段を上がっていくと、そこにYiasemiはあった。 ここは観光客というよりも、どうやら地元民が多そうだ。カメラを構えると「うちらを撮ってよ!」とノリの良いアテネっ子の若者たちが言う。
階段席は満席だったので店内に入る。
初のギリシャごはんはグリークサラダとチーズのパイ。きゅうりとトマトは肉厚で、塩気のあるヤギのチーズは思ったよりも癖が無く、美味しく頂いた。
夕食を済ませると既に日は落ちて、夜のプラカは更に賑わっていた。
プラカのメイン通りの一つ、キダネシオン通りには有名なバーBRETTOS(ブレトス)。
思っていたよりもずっと洒落ていて熱気のある夜のプラカ。何だか、他人事ながら少しホッとした。
デザートには、本場ギリシャヨーグルトの人気店、Fresko yogurt bar(フレスコヨーグルトバー)。三種類のヨーグルトと、ヨーグルトにかけるジャムやトッピングを選べる。
濃厚だかスッキリとした味わいのギリシャヨーグルトは、病みつきになる美味しさだった。
ホテルのルーフトップにはバーがある。ここからは、なんとライトアップされたパルテノン神殿を眺めることができる。
後にヴェネチア軍の砲撃で破壊されるという悲しい運命を辿るこの神殿だが、実に約2,500年前からアクロポリスに立ってこのアテネの街を見下ろしていたのだ。 途方もない時の流れの中で、今現在こうしてそれを眺めているという事実が不思議でならない。
こういう時、歴史というものは本当に神秘的なものだと思う。 明日はしばしアテネを出て、いよいよハイライトの一つである絶景のギリシャ正教の聖地へと一泊二日の旅に出かける。
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